
第1回公演。アレフ初公演。
『……天才は蝶になりました』
「天才」というネーミングの登場人物がこう言うと、彼の背中に美しい羽が生えて
くる。他の登場人物たちが『一緒に連れていって欲しい!』と懇願するが、「天才」は暖かくも厳しく言い放つ。『追うなー!私を追うなー!』
ゆっくりと照明がフェイドアウトしていく。そして、幕。
デパートメントシアター・アレフの旗揚げ公演「きのうはきょうよりまえだった」のエンディングである。
北海道大学の劇団「アトリエ」で、私は萬年氏と知り合った。萬年氏は2年先輩。全くの素人であった私を萬年氏は根気良く指導してくれた。私はとっても下手くそで、萬年氏も大変だったと思うが、私もとっても辛く、何度も劇団を辞めようと思った。
だけど、萬年氏の傍にいると、なんか気持ちが良かった。うまく説明できない。ただ気持ちが良かったのだ。気が付くと、劇団「アトリエ」で萬年氏と7作の芝居を打っていた。
1982年、萬年氏は劇団設立を決意した。そして、デパートメントシアター・アレフが誕生した。光栄にも、私は創設メンバーに加わることができた。
大学という枠内での演劇活動は窮屈であったが、反面、保護されてもいた。「アトリエ」では、既に練習場所が「そこ」にあった。
新しい劇団の船出は、場所探しから始まった。五十路が近づいた今の私であれば、もう少しうまく立ち回れたかも知れないが、まだ二十歳そこそこの学生にとって、とても大きな障壁であった。フィールドの確保がいかに困難かを思い知った。村松氏と街中を捜し歩いたが、なかなか見つけることができなかった。
ようやく、ある居酒屋のご主人の好意で、お店の2階を練習場所として使わせていただけることになり、何とかデパートメントシアター・アレフはスタートできた。
旗揚げ公演「きのうはきょうよりまえだった」には、同名の全く別内容の台本が存在した。スタート当初、萬年氏はじめ我々劇団員全員、この本を上演すべく居酒屋の2階で日々練習していた。
お店の2階を快くご提供いただいた居酒屋のご主人には勿論感謝している。だが、しっくりこないのだ。なにか違う。単に、畳敷きだから、天井が低いから、といった物理的な問題だけではない。自分たちの劇的空間ではないのだ。
その後、紆余曲折の末、北海道文化芸術センターという活動場所を得ることができたが、それに呼応するかのように、萬年氏は新しい「きのうはきょうよりまえだった」を書き下ろした。台本を読んだ瞬間、それは新しく得た劇的空間に合致した芝居であると感じた。劇中、蔦原氏演じる「H」が、『北海道文化芸術センターと飛びたい』と語るシーンがあるが、感慨深い台詞だった。
芝居とは無縁の生活を20年も甘受している私にこんなことを言う資格がないのはわかっている。が、 いつかまた、萬年氏と芝居がやりたかった。
だけどあなたは、私たちを残して、こんなに早く旅立ってしまった。
あなたを追うことは、永遠にできない。
(文:常山信樹)